不安ばかりがよぎるこの気持ちを、あたたかく包み込んでくれるもの。










学年最後の大きなテストが迫っていた。同時にそれは中学生活の中でも最後のテストであって、受験を控える沢山の生徒達の間に、ピリピリとした空気が流れていた。

そんな少しまえにひいてしまった風邪の名残で、あまり上手く空気を通してくれない鼻をず とすする。


「…これ、わかりにくいなあ」

机のうえに開けられた数学の問題集の、わけのわからない数式(まあきっとわかってないのはあたしだけなんだろうけど)を見て、思わず呟いた。
ねむい、教室に常備されているたった一つのストーブが やっと役割を果たしてきて、そんな中 朝飲んできた風邪薬に含まれていたであろう成分にきっと眠たくなってきてしまっている。


「こんな、教室でうとうとしてたら」

もっと風邪、ひどくなるよ と、そんな優しい こえで、


「ん、えーし…」

付き合いももう九ヶ月目に入った、それはもうあたしには勿体無いくらいのひと。「熱、あがってない?」そう言いながら、優しい仕草であたしの額に触れてきた。


「…うん、大丈夫だね」
「英士の手、あったかいね」

英士の手の暖かさに安心して、とても心地よくて目を瞑る。


…ちく。


「…どうしたの?」
「ん、ううん なんでもない」

ふと頭に浮かんだ、胸にちく とくる、想い。選ぶことも出来たのに、選ばなかったのは自分。仕方ないね なんて英士は言わなかった。ただ、いつものように優しく微笑って ただ、「うん」と一言。

英士にはそれがあるように、あたしも英士に釣り合えるだけの、なにか がずっと欲しくて。


「駄目だ、こんなんじゃ 駄目だね」

もっと、がんばる とあたしは小さく呟いて数学の問題集に視線を戻した。同時に、始業を知らせる鐘が鳴ってあたまの上にぽん と、英士の優しい手が置かれた。


「あんまり無理、しないようにね」

あまりの優しいこえに、涙が出そうになるほど幸せに感じるこの想いが、9ヶ月もの間 ずっと変わらないでいさせてくれるなんて、英士はなんてすごい、ひとなんだろう。
まっすぐに背筋を伸ばして席についた、凛とした 英士の後ろ姿を見つめる。何度もあった席替えで、一度も彼よりも前の列になったことが無い 奇跡に、少し笑える。


───ふと、


懐かしい、幸せな想いで胸がいっぱいになった。英士が、後ろを向いた。目が 合う。英士が微笑う。
それに続けてあたしも、泣きそうになるのを抑えながら微笑う。あの時はただひたすら、目が離せないでいるだけだったのに、こんなにまで、近く。


「…っ、」

さらりと、静かに前に向き直した英士の髪が揺れる。こぼれそうになる、あの頃の思いと今の想い。どっちも今のあたしにはとても大切で、かけがえの ない、


「…すきだよ」

唇だけを動かして、英士の後ろ姿に放つ。


────すきだよえいし、すごく、


自分で選んだことなのに、嫌な思いばかりが頭をよぎり続ける。何度好きだと伝えても、何度好きだと伝えられても、この想いはきっとずっと、付きまとってくるんじゃないかと思う。───不安。


…ちく。


またひとつ、小さな痛みが胸に刺さって、下を向いて「うー、」と、小さく声が漏れた。
いたい、くるしい、そんな想いが重いほどあたしには圧し掛かって いて、






「…受か、った」

A4サイズの、白い封筒。家に届けられた瞬間には大きくひとつ、心臓がはねて。口を開けるとき、鋏を持つ手が小さく震えた。「俺が、開けようか?」なんて何て言わずにただ「大丈夫」とだけ言って、ただあたしの隣に静かに座っていてくれた。

入っていたものは三枚の、紙。

合格通知と書かれた紙に、説明会等の日程が書かれた紙、そして入学金の振込用紙だ。意外と、感慨のないものなんだなぁと、そんな変なことを思いながらあたしは「合格」という二文字を、ひたすら見つめた。

そう、あたしは志望校に合格したのだ。


「…英士、」

受かっちゃったと、隣に座る彼に視線をやる。「…うん、」と英士は嬉しそうに微笑って、あたしの髪をスッとかきあげて額にひとつ、キスをくれた。


「おめでとう、

合格ギリギリだと、言われて受験した。散々悩んで、選んだことを後悔するかもしれないと、何度も思った。その度に楽な方ばかりを見てしまって、何度も自分を叱咤した。


「受かった…」
「うん。、がんばったから」


────ほんとうにおめでとう。


ぎゅう と、抱きしめられた英士の腕の中で、うれしい気持ちとかなしい気持ち。選んだことに、後悔なんて絶対にしないと、何度も何度も自分に言い聞かせたつもりだった。


「…っ、やだ…」


一度目の、春の頃のことを思い出した。あたしはまだ、彼の名前すら知らなくて、それこそ本当に、そんな彼をただただ目で追っていただけの、あの頃。彼との距離はとても遠くて、でもそれだけでとても満足だった。
二度目の春、ほんの少しだけ、距離は近くなってもっともっと彼のことを目で追うようになっていた。

三度目の、あたたかい春。五月も始めの放課後、初めて彼と話をして、おでこにキスをもらって、すきだ と、そんな言葉をもらった。触れ合えるほどに、心も身体も近くなって、



「…、」


ほんとうは離れたくない。そんなにまで近くなった、二人の距離を自分から離そうなんて 馬鹿げてる。


「っごめん、えいし…なんでも、な」

最後まで言い切る前に、英士に遮られてしまった。何度してもドキドキがなくならない英士とのキスは、いつもとてもあたたかくてやさしくて、そしてとても切なく なる。


、自分の選んだ道に、後悔だけはしないで」
「えーし…」
「離れることは、確かに寂しいことだけど、」


────だけど決して、かなしいことじゃないから。



「会いたくなったら、すぐに飛んで行くし、」
「…うん、」
「電話だってメールだって、いつでもすぐしてくれて いいから、」


だからかなしい事だなんて、思わないで と、不安ばかりがよぎるこの気持ちを、あたたかく包み込むようにして、優しく抱きしめてくれる英士の背中をぎゅう と返す。

好きという気持ちだけで、この先ずっと一緒にいられるはずがないとわかってしまって、選んだもの。
英士にはサッカーがあるように、わたしも、胸を張って英士の隣に並んで歩いてゆけるものが、欲しい。

あたしは、次の春から武蔵森学園の高等部に入学する。英士と離れて、たった一人で。


ふわり、英士の匂いに包まれて。目をつむって、思い出した。



ほんとうはずっと見ていたい、




…学校が離れるだけでこんな大げさなことに発展してしまう二人はどこまでラブラブなんでしょうか…(笑)
学校がたがうことは必然です。(これ書いてるときに決めたの!/ぇ)


20061103(20060224)   秋夢うい

かなしい事じゃないよ、想う この気持ちがあれば離れたりなんか しない。