ダークネス
オブ
マインド



わたしが小学校に上がる少しまえに、父は交通事故で突然亡くなった。顔面蒼白で、まだ二歳になったばかりの弟を抱き静かな病院の通路を必死に走る母の後ろをわたしはわけもわからず追いかけた。違う、きっと何かの間違いよと 自分に言い聞かせるように何度も繰り返す母の言葉に漠然とした不安を抱いた。

行き着いた先には、おまわりさんがいて どこかの部屋へと連れて行かれる。
怖かった。その雰囲気に激しく泣き出した弟を母は降ろして、部屋の中にあったベッドへと近づいた。静かに横たわる父を見て、母は声を上げて泣き出し、なんとなく事態を把握したわたしは泣き叫ぶ弟の手をぎゅっと握って父の傍へと寄っていく。とても優しくて、大好きな父だった。それから六年、母は頑張って女で一つでわたしと弟を育ててくれて 貧しいながらも仲良く暮らしていた。




「目、覚めたか?」

ふわりと、宙に浮いているかの様な感覚に少し吐き気を覚えた。そして鼻を突く消毒液のような独特な匂い。一瞬まだ夢の中にいるのだろうかと思ったけれどすぐ傍で掛けられた声にそうではないことを理解する。顔を少し横に動かすと、真田さんがパイプ椅子に足を組んで座っていて やさしく微笑っている。
そうだ、今日わたしはあかり先輩と君島さんと三人で仕事の後 食事をしていた。その帰り、店の外で他の酔っ払い客に絡まれて…

事の顛末を思い出して、慌てて起き上がろうとしたところを「いいから」とわたしの肩を押して真田さんは制した。そうして自分の腕を見ると点滴に繋がれている。

「真田さんすみません…ご迷惑をおかけしてしまって」
「そんなの全然かまわねえよ、」

心配はしたけどな。それより気分はどうだ と彼は苦笑しながら聞いてきて、だいぶいいですと返事をすれば「よかった」と安心したようにわらって。

「あ、の、わたしと一緒にいた…」
「ああ、少し前に帰ってもらったよ。もう時間も時間だし、あー…と滝あかりさん?ならもう一人に送ってってもらったから」

心配いらないと言われ、そうですか と安心する。あかり先輩と君島さんにもずいぶん心配をかけてしまった。

「点滴終わったら帰っていいそうだから」
「あ、はい…。あの、わたしもう大丈夫なので…真田さんも、」

言い切る前に、真田さんは今更だろ と言って目を細めてわらった。彼はわたしを置いて帰る気は更々ないらしい。ありがとうございますとわたしは苦笑する。ここで本当に大丈夫だからと強く言っても聞き入れてもらえないだろうことを、わたしはこの半年で学んだからだ。

「すみません、わたしのバッグの中に携帯入ってると思うので取ってもらっていいですか」
「ああ…中開けるぞ。……ん」

ありがとうございます と受け取って確認する。目が覚めたことと謝罪のメールをあかり先輩に送ろうと思ったけれど、どうやら先手を打たれていたようだった。…そして大きく優しいお節介と。返信するのはやめて携帯を握り締める。


「…真田さん、わたしのこと、どこまで聞きました?」
「え?…あー…っと、親父さんが小さいころ事故で亡くなって、おふくろさんが…再婚したって」

悪い、勝手にこんな話聞いて と、真田さんはばつの悪そうな表情をして少し目を伏せた。いいんです、本当は真田さん あかり先輩からそんなことを聞きたかったんじゃないんですよね と返せば驚いた表情。先輩が勝手に、と言えば聞こえは悪いけれど。事実として、ただ酔っ払いに絡まれたくらいであんな取り乱すなんてことはないと、誰だって思うだろう。だからなぜこんな風になることがあるのか、聞きたかったに違いない。
どれだけ時間が経っても鮮明で、でも必死にこころの奥底に隠して。

「母が再婚したのはわたしが中学にあがる少し前でした」


苦労してわたしと弟を育ててくれていた。そんな母を見ていたから、再婚したいと言ってきたときわたしも弟も喜んだ。母が幸せになってくれるならそれが一番いいと。中学にあがるころには、新しい家で新しい父親との生活は始まっていた。
新しい環境と、母の幸せそうな笑顔にわたしはほんとうに嬉しかった。誰も知る人のいない中学も、すぐ友達も出来てすごく楽しかったし部活も充実してた。そこで、家が近所だったひとつ上のあかり先輩にはとても可愛がってもらって 彼女が卒業したあとも友人として関係は続いた。
新しい父はとても優しいひとで、わたしの事も弟の事も可愛がってくれていた。母も幸せそうに笑っていて、わたしもすごく幸せで―――


「そんな新しい父…あの人が変わり始めたのはわたしが高校に進学してしばらく経った頃でした」


仕事がうまくいかなくなってきて、よくお酒を飲むようになった。酔いが酷いときは強い言葉を発するようになり、お酒を飲むのを止めようとした母に暴力を振るうことさえあった。そんなことが少しずつ増えてきて、あの人に怯える毎日が続いたある日。ずっと母に向いていたその矛先がついにわたしに向いた。パートに出ていて居なかった母の…身代わりだった。

夢に見て思い出すたび、恐怖で身体が動かなくなる。暗い部屋に、大きな手の強い拘束、そして暴力。からだ中の痛みと恐怖に、声も出せない。

その時隣の部屋にいた弟が異変に気がついて、警察に連絡 ひとしきり暴力を受けたわたしは警察が家に入って来たとき、安堵しそこで気を失った。


「母は、ずっと耐えてきましたけど、その時警察沙汰になったことで離婚することになりました」

そうしてまた家族三人での生活が始まって、でも恐怖に怯える生活からは解放された。わたしは、恐怖で暴行されたときの記憶は失った。

「え…じゃあ覚えてない…のかでも…?」
「それから何年かして、当時付き合ってた彼に…すこし乱暴にされたことがあって、」

完全な、フラッシュバックだった。
それまで夢にすら見たことない、すっぽりと抜け落ちていたその時の記憶。死ぬほど痛い恐怖が急激にからだと脳を巡った。
それ以来、ずっと忘れていた恐怖の記憶は何度も夢に見てわたしを苦しめ、酔っ払って乱暴になった酔っ払いの男性が怖くなり。付き合っていた彼ともそのまま駄目になった。


そうして、苦しく辛い日を送っていたあの夏、きらきら きらきら、わたしは真田一馬という一人のサッカー選手を知るのだ。






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20111020  秋夢うい

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