足りないものはたったひとつの、










こんなにも好きでしょうがない。


「…もう落ち着いたか?」
「うん…、」

ごめんね 淳、と。冷やしたタオルを顔に当てて言う。
走って走って、走って。
一馬への想いが涙となって溢れだしてきた。冷たい涙が幾度となく頬をつたって。
その度に淳がどうしようもなさそうに顔を歪ませていた。


「俺、真田に言ってやるから」
「いい」
「けど…っ!」

淳の部屋。まだ少し出てくる涙を、タオルで拭き取りながらあたしは、淳の言う事を拒否し続ける。
あたしの事を心配してそう言ってくれてるのは嬉しい、でも、まだそれに甘える気にはなれなくて。


「我慢する。ちゃんと一馬のこと、」

諦めるから。 そんな、簡単に言えるほど諦められるなんて、無理だと理解ってるのに、何度も口をついて出る。つい今しがた一馬のことがどんなに好きか、胸がつまるような思いをしたばかりなのに。







「遅い…」

翌日の昼。今日のこの休日に、『遊び出掛けるぞ』といきなりメールを送って来たので、言われた通りあたしは、駅のロータリーの壁の前に一人、ぽつん と淳を待つ。何度も何度も携帯電話の時計を見ながら、約束の時間を十分過ぎてもやって来ない待ち合わせの相手を思ってため息をつく。

自分から誘っておいて…淳っていつもそうなんだよなぁ… なんて考えながら、俯いて自分の足元に視線をやり、はあ とひとつ、深くもう一度ため息をつく。


「……」

ふ と、俯いたままのあたしの視界の中に影が映ったので、やっと淳が来たんだと思って、顔を上げる。


「もう!淳遅かったじゃ…」




あたしは、何が駄目だったんだろう。
一馬に告白したこと?昨日教室から逃げ出したこと?一馬に直接さよならが出来なかったこと?

一馬を、好きになったこと?

思い当たることがありすぎて、泣きそうだ。





「…一、馬」

どうしてだろう。あたしの目の前に、会うはずのなかった、一馬が立っていた。
名前を呼んだのが辛い。昨日 最後に名前じゃなくて苗字で呼んだのに。


「あつし って誰?浮気相手?」

そう言ったのは一馬じゃない。一馬の親友でいつも一緒の。

「若菜、くん」

彼が怒っているように思えたのは、きっと気のせいなんかじゃなくて。表情ひとつとっても、目に見えて明らかだった。


「結人」

彼をなだめるようにそう言ったのは、若菜くんと同じく、いつも一緒の。


「郭、くん」

そんな彼もまた、いつもの優しい雰囲気ではなくて。


「なに、やってんだよこんなところで」

そう言ったのは一馬だ。


「別に…」
「え、あつしくん待ってんだろー?」
「結人!」
「何だよ、お前の代わりに言ってやってんだろ!」

一馬の何が不満なんだよ! そう強く、若菜くんがあたしに言う。


「え…?」

声になっていないような声で、あたしはそう 言う。


────一馬の何が不満?


「そんなの…ない よ」
「じゃあ一馬が何かしたの?」

次いで、郭くんがそう聞いてくる。


「なに も、してない、よ」


頭が真っ白になった。何もしていない。きっと、これ以上に適切な言葉なんか見つからない。
けどでも、それは、


「やっぱそうなんじゃん!一馬、こんなのと早く別れた方がいいって!」


────ああ、なんだ、


「やっぱり一馬、あたしの事、重荷でしか なかったんだね…」
「え…?」

やっぱりそうだったんだと思って、生暖かい涙が、あたしの頬をつー っとつたって、ぽたりと地面に落ちた。


!!」

一馬たちの後ろから、あたしを呼ぶ声がして。視線をやると、一馬達も振り返った。
来るのが遅いのが悪いんだと、責め立ててやりたかった。


「淳…」
「お…前ら!に何したんだよ!」

あたしが泣いているのを見た淳が、目に見てわかる程にカーッと怒りに顔を歪ませてあたしと、一馬達の間に割り入る。あたしを、かばうように して。


「なに!あつし って上原の事だったわけ!?」

うわ最低!! と若菜くんが嫌なものを見るような目で、あたしを見た。
相変わらず涙は溢れて来て、一馬の方を見ると、少し顔を歪ませて一瞬 あたしと目が合って、フイと逸らした。若菜くんに言われた言葉よりも、こっちの方があたし的に堪える。とても、痛い。


「最低なのはそっちだろ!!」

若菜くんの言葉に、淳は一馬を睨みつけて叫んだ。


「や…やめて…っあつし…っ」
「なんだよ!お前も騙されてんじゃねぇの!!そんな女庇う方がおかしいだろ!!」

浮気するような女だぞ! と淳と若菜くんの言い争いは続く。いつもならすぐに止めに入る郭くんでさえ、それをしようとしない。
もうこれ以上、一馬に負担をかけるような事を言わないで欲しい。もうこれ以上、あたしだって傷つきたくなくて、


「やめろよ…っ結人!」
「淳やめ…っやめて…っ!」
「一馬は何もしてないって、その子も自分で言ってるんだよ」
「そうだよ!一馬には非がねぇんだから!この女が一方的に悪いんだろ!」

二人の言い争いに、とうとう郭くんも口を挟んできた。あたしと一馬は、必死に二人を止めようとするけれど、それは叶わなくて。昼過ぎの駅前。沢山の人が何事か と面白そうに見物をきめている。


!なんで本当の事言ってやんねぇんだよ!」
「もういいの!いいんだってば淳!」

泣き叫ぶようにしてあたしは、必死に淳を止めようとする。あんなあたしのわがままを、聞いてきっと一馬はあたしがもっと鬱陶しくなるだけだ。


「あたしが悪いの!あたしが全部悪いのだからいいの!」


あたしのその言葉に、なんでだよ!と淳が辛そうに顔を歪ませてあたしを見た。


「ほーら!その女だって自分で認めてんじゃん!!」

馬鹿じゃねぇの!! と、勝ち誇ったように若菜くんが言った。


「おい真田!!」

若菜くんのその様子に、淳が今までで一番大きな声を出して、一馬の名前を呼ぶ。


「お前自分でも自分は何もしてない って思ってんのかよ!」
「え…」
「一馬は何もしてねぇっつってんだろ!」

しつけぇんだよ!! と若菜くんも負けじと大きな声で叫んだ。


「じゃあ聞くけどな真田!」
「やめて!やだってばあ つ し!!」

淳が何を言い出すのか、わからないわけがなくて。あたしは慌てて淳の腕を掴んで止めようとする。
けれど淳はそんなあたしの手を振り解いて、俺が言ってやる!! とあたしに向かって言って、一馬の方に向きなおした。


「お前この付き合って三ヶ月の間に、こいつに何かひとつでもしてやった事あんのかよ!!」


「は…?」

淳のその言葉に、そう声を出したのは若菜くんで、訳がわからないらしく、少し目を見開いた。勘のいい郭くんは、淳の言った事が理解ったらしく、「ちょっと、一馬まさか…」と言いながら一馬の方を見た。
あたしはとうとう言われてしまった言葉に、力が抜けてドンッ と壁に背をぶつけてずるずるとしゃがみ込む。そんなあたしにお構いなしに、淳は言葉を続ける。


「どうなんだよ真田!そりゃお前は何もしてねぇだろうな…電話もしてやんない、メールも送ってやんない、遊びに誘ってもやんないで、そんなので何もしてない って、逆に言えんのかよ!」

答えろよ真田!! と淳は、一馬の胸ぐらをつかんで。


「お前の名前だって、一度も呼んでやったことねぇだろ!」

そう言い切って、淳は掴んだ胸ぐらを一度自分の方に引き寄せてドンッ と一馬を後ろに突き飛ばす。


「そんなんでよく何もしてねぇ なんて言えるよな」
「え、ちょ、なに、は…?」

若菜くんが、やっと淳の言った事が理解ったようで、困惑して郭くんと一馬を交互に見ていた。


「ホントなの?一馬」

郭くんはそんな若菜くんは無視で、一馬に鋭い視線を向ける。


「ああ…」

一馬が少し俯いてそう言った。


「っマジかよ一馬!な、にやってんだよお前!」
「おい若菜!これでもまだの方が最低だって言えんのかよ!」
「え!や、でもそっちも浮気してんじゃ…」

「俺とは従兄妹だっつーの!おい、真田!お前と本気で付き合…「もうやめて!!」」


「───!!」


後ろから淳の叫ぶ声が聞こえる。一番、言って欲しくない言葉だった。どうしてもその答えを聞くのは怖かった。沢山の人の中をすり抜けるようにして走る。それでも何度か人にぶつかって、泣きながら走るあたしを何人もの人が見て振り返っていた。




***




「っはぁ、は…」

誰も居ない。薄暗い、小さな小さな公園。
昔よく、秘密基地みたいだね と、淳と一緒に遊んだ。何かあるとあたしはすぐに来たがって。親に叱られたりしてはよくここで泣いた。



「ホントなの?一馬」



郭くんの言葉だ。一馬は彼の問いに、間違いなくうなずいていた。

「…やっぱり、」

ねえ、あたしの事が好きじゃないから、何もしてくれなかったんだね。
そう思って涙が止まらない。こんなにも、一馬のことが好きなのに。全然、一馬には届かなかったんだ。


暫く泣いて、ふいに後ろから、じゃり と砂を踏む音がして、あたしの足元にあたしのものじゃない影が映った。

「…淳、やっぱりあたし、一馬のお荷物でしかなかったね」
「……」

後ろにいるのが誰か なんて思うわけない。昔から、この公園にほとんど人は来ない。小さい頃からあたしと 淳の、本当の秘密基地のようなところだったから。


「大丈夫!ちゃんと、次 一馬にあったら謝って、今までありがとう って言えるよ」

────そして。

「ちゃんと、さよなら も、出来る…っから」

右手の甲を口元に持っていって、唇は震えていた。俯いてまだ涙は溢れてくる。
泣いても泣いても無くならない、一馬への想い。

「……」
「…?あつ…」

少しの沈黙があって、何も言ってこない淳の方に振り返ろうとした。でもそれは叶わなくて、瞬間。


「ちょ…淳!?」

急に後ろから抱きしめられて、身動きが取れなくなる。


「やだっ…離して淳…っ!」

何で淳がこんな事をするのか判らなくて、必死にもがいて抜け出そうとする。けれど、それ以上にもっと強く力を込められて。


「何で…っ淳!ねぇあつ…」
「ごめん…」

右肩のところで声がして、その声にあたしは驚いて頭が真っ白に、なる。動かしづらい頭を少し右に動かして、黒い髪が視界に入る。



「かずま…?」

名前を呼ぶと抱きしめられた腕の力が少し緩いで、その隙にあたしは抜け出して急いで振り返る。


「なん…で、一馬…」

今の今まで淳だと思ってた人は実は一馬で。少し肩が上下に動いている事から、ここまで走って来たのだと知れる。一馬の顔を見た瞬間、自分の心臓が どくん と、おおきく跳ね上がるのがわかった。


「なん、で?」

一馬と目を合わせたまま、まだあたしは涙が出てくる。淳がこの場所を教えたの?ならどうして一馬はあたしを追って来たの?わからない事だらけで、色々なこと頭に浮かんではぐるぐるとまわる。
一馬は気のせいか少し泣きそうに顔を歪めて、そして眉を寄せた。


「おれ、は…」
「え…?」

一馬は小さく何か言って、黙って、少し見つめ合う形になって視線を外して下にやった。

「おれは…、なんて言うか、女と付き合うのとか初めて で」
「一馬…?」


───何 を、言おうとしているの?


あたしが一馬の名前を呼ぶと、一馬は顔を上げてもう一度あたしを目を合わせる。一馬とあたしの距離は、たったの体一つ分だ。あたしよりも10cmほど高い、少しつった、一馬の目を見つめる。


「結人みたいにストレートに言ったり できねぇし、だからって英士みたいに自然に優しくしたりとかも、できねぇし」
「…え?」

一馬の顔が心なしか紅くなっているように見えるのは、きっと気のせいなんかじゃ なくて。


「正直、どうしたらいいのか わかんなくて」

それで… と一馬は一つ一つ丁寧に言葉を繋げていく。

「かず、ま…?」

あたしは涙が止まって、心臓がどきどきして あつい。


「…っでも、好きなんだ」

一馬の顔が耳まで真っ赤になっていた。あたしも顔があつくなって、

「謝るから。おれ、お前が許してくれるまで何回でも、謝る から」

だからさよならする とか、言うなよ と言って、一馬はまた顔を歪ませた。

「うそ…」
「今までなんもしてやれなくて ごめん。傷つけて、泣かせて…ごめん、」


「───…」



────足りないものはたったひとつの、



「っ…うっ、く」
「ごめ、ごめん な…」

とうとうあたしは、もっと泣き出してしまって。一馬は一歩前に出て、俯いて泣くあたしの身体をそっと抱きしめてきた。嬉しくて、夢みたいで、嬉しくて。一馬の身体に頭をあずける。
そんなあたしを一馬の腕がもっと優しく、強く、包んでくる。

ふと、そんな一馬の腕が少し震えてる事に気がついた。


「一馬……っ!?」
「いい、今おれの顔、見んな」

一馬の顔を見ようと思って身体を離そうとしたら、ぐい っと腕に阻止されてあたしの身体は一馬の腕の中に逆戻りする。
ぎゅう と強く力を込められて、なんとも言い難い胸の締め付けを幸せに思いながら、一馬によって押し付けられている一馬の胸から、一馬の心臓の音を聞き取る。
それはあたしよりもリズムが早くて。なんだかそれが可笑しくて少しわらう。


「なん、だよ」
「ううん。なんでもないよ」

幸せすぎて死にそうだよ と心の中で言ってやる。すぐに醒めてしまう、夢じゃないだろうかと、幸せの中に不安がよぎった。けれどこの一馬のぬくもりはきっと夢なんかじゃなくて、

「一馬、だいすき」
「…おれも、」

確かめるようにして言った。そうしたら、一馬の低い 優しい声があたしの耳元でして。一馬以上に心臓のリズムが早くなる。うわー、うわー と馬鹿みたいに心の中で叫ぶ。体中があつい。


「情けない男でごめん。よわむしで、ごめん。ちゃんと、大事に するから、」





「すきだ」


足りないものは、たったひとつの 愛の言葉。


もう、不安になんてならなくていいよ。



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若菜くん完全悪役。続編で若菜くんとかあっくんとかありますのでよろしければどうぞー。
読み直すとほんと笑えた。耳元で何か言われるのとか、すごいすき。

20061012(20050104)   秋夢うい

好きでいてもらえたこと以上の幸せなんて、ないと思えるくらい