現実への
カウントダウン



時折、寝苦しい夜にそれは何度も夢に見て思い出す。暗闇、強い力、大きな手。からだ中の痛みと恐怖に、声も出せない。一瞬呼吸が出来なくなって、目が覚めた。苦しいほどの動悸に、こんな真冬にかいた汗。現実を見るために、枕元に置いてあった携帯を開くとそのディスプレイの明るさに少し目が痛い。12月30日、午前4時28分、目が覚めるにはまだ少し早い時間だった。新着メールが一件来ているのに気がついて、まだ少し震える手でボタンを押した。夢のような現実が、そのメールには含まれていた。



「どうしてそんな大事なこと黙ってたのよー」

今年の、仕事最後の日だというのにとても忙しかった。連日の残業続きで、多少イライラした感じのあかり先輩が、まっすぐパソコン画面を見たまま目を離さずに言った。「実際、どうなるかわからなかったんですよ」「それにしてもまさか、そんなにまでなってるとは思わなかったわー」夜中に開けたメールは、わたしが眠ってすぐの頃の時間に送られて来ていて、内容は明日の予定の再確認だった。

どうして、わたしなんですか。そう聞いてしまったことを、あの日からずっと後悔している。もしあの時その答えを聞かされたとして、わたしはどうしただろうか。何を言われたとしても、きっと何も言えなかった。それを考えると、次の機会に伸ばされたことをずっと安心していた。


「もし、真田一馬が本気であんたと って考えてたら」

どうするの?なるべく考えないようにしていた可能性を、聞かされてキーボードの上で忙しなく動かしていた手を止めた。そのまま首を動かして横を見れば、同じようにあかり先輩も手を止めてわたしの方を見ていた。「そんなこと…、あるわけないです」「どうしてそう言える?」「どうして、って…」何度でも思う、ただ偶然の出会いに、何度か食事を一緒にしただけだ。その食事に誘われたこと自体、不思議で仕方ないというのに。


の話聞いてる限り、ただの暇つぶしって感じでもなさそうだけど?」
「そんなの…本当はどうかわからないですから」

「気持ちはわからなくもない、けどいいかげん」
「だいじょうぶです」
「…んー、もう!」

一生独りとか、あたし許さないからね!焦れたあかり先輩が言った言葉は以外に大きく、周りの同僚が何人か視線を寄越した。仕事中だったことを思い出し、わたしは慌てて止めていた手を動かした。カタカタカタ、事務所いっぱいに広がるキーボードの音に、鳴り止まない内線のコール、ふと周りを見回してみれば忙しさにイライラしている何人かは動きが雑になって来ている。その中で、わたしは毎日変わらず同じように仕事をしていて、それが何にも変えられないわたしの現実で、それに満足している。

「…ねえほんとに、本気だったらあんたどうする気」

真田一馬という人は、まっすぐな人だと思った。わたしと どうこうなりたいとかそんな事はわからないけれど、少なからず好意を持ってもらっているのだということは紛れもない事実だとも思った。嬉しくないといえば嘘になる。彼の選手としてのポスターは、未だ変わらずわたしの部屋の壁に貼られたままだし、現実と非現実の狭間をふらふらしているようで時々苦しくもなる。けれどもし、彼が本当にわたしとの何かを、考えているのだとしたら、

「…たぶん、」



+++



この部屋に越してきて、もうすぐ一年が経つ。その割にはあまり物は増えていなくて、大掃除はお昼を過ぎた頃には終えることが出来た。布団のシーツと掛け布団のカバーを新調して、嬉しくて少しの間それを眺めていた。お腹が鳴って、まだお昼ご飯を食べていなかったことを思い出し、ぴかぴかになったキッチンで簡単な冷凍ピラフを作って食べた。

午後3時40分 真田さんが迎えに来るのだという9時にはまだまだ時間がある。そもそも、本当に来るのか、そんな時間からどこに行くのだろうか、食事はどうしたらいいのか とあれこれ考えていたらテーブルの上の携帯が暴れだしてその音に少しばかりおどろいた。メール受信、相手は真田さん だ。

『9時過ぎには行けると思う。着いたら連絡するからそれまで部屋で待ってて。それとメシ食いにいく』

焦っていたのだろうか、これが本来なのか、メールにはいつものように絵文字や顔文字がなく まるで今わたしが考えていたことがわかっているかの様な内容に思わず笑ってしまう。どうやら、今夜出掛ける事は確定になったらしい。一昨夜、夜中に目が覚めたときに読んだメールには、『ごめん、9時に行けるかどうか怪しくなってきた。また明日時間の連絡する』という めそめそ顔の絵文字に、携帯電話の着信絵文字が付けられていていつも接する彼とのイメージの違いに少し笑えた。

服は何を、着ていこうか。 片付けたばかりの寝室のベッドの上が、洋服で埋め尽くされるのは時間の問題だった。




「…着いたら連絡入れるって言ったのに」

午後9時20分。さらにその一時間前にはすでに支度を終えてしまっていて、大晦日恒例の番組を観ていても落ち着かず マンションの前で彼が来るのを待っていた。着いてから連絡を入れてもらって、階下におりるまでの数分を待たせるのも嫌だったというのも少し本音ではあった。見覚えのある車が静かにわたしの前に止まって、パワーウィンドウが下りて彼の拗ねたような第一声がそれだった。「すみません」と、予想どおりの彼の反応に苦笑して謝罪する。「乗って」と言われて車の反対側に回り、車内に乗り込む頃にはパワーウィンドウは綺麗に閉められていた。

「寒かっただろ」
「そんなに待ってませんでしたよ」

暖房がよく効いていてあったかい。マフラーを外して膝の上に置き、コートも脱ごうかと襟を掴んだ右手を不意に掴まれて、

「…うそつき、」

手、つめて と、言う彼の手は驚くほどあつい。突然の事に、何も言えず 握られた手を振り払うことも彼を見ることも出来ずにいると、「…あ、わるい」と気まずい様子で言われてわたしも「…、いえ」としか返せなかった。
その後すぐに車を出されて、わたしは止まっていた手を動かしてコートを脱いでそれも膝の上に置いた。前回と同じ、車内にはエンジン音と暖房の音しか聞こえなくなってやはり少し気まずい。

「…ちょっと遠出。東京まで出るな」
「東京、ですか?」

友達にいい店教えて貰ったんだ と、彼は言って こっそり横顔を盗み見ると少し嬉しそうに微笑っていた。それから目的の店に着くまでの一時間と少し、とりとめのない話をいくつかしながら、時折笑いも混ざった。「そのときに、教えるよ」あの時の質問の応えを、彼はもう持っているのだろうか。もしもの時の答えを、わたしは持ってきた。

本当にすごく、後悔していた。どうして、わたしなんですか。 あんな事を聞いてしまわなければ、まだ少し猶予はあったかもしれない。真田さんと食事をするのはとても楽しいし、計画的な彼に流されるのも嫌いじゃない。「もし、真田一馬が本気であんたと って考えてたら」そんなのありえない、ありえないと思いたい。これ以上の奇跡と関係を、期待しているわけでも望んでいるわけでもない。

さびしい、なんてそんな風に思うはずない。出逢えた事が本当の奇跡。わたしは毎日現実に向き合って仕事して、時々美味しいものを食べて家に帰る。そんな なんてことない日常に戻る。これまでの幾数回の非現実な現実は、これまで少しでも頑張ってきたわたし自身への褒美だったとでも思えればいい。もう流されない。とてもまっすぐで、やさしいひと。

きっと今日が、最後になる。







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20080819  秋夢うい

( 現実へのカウントダウン )